たるたるにっき

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2009年 09月 27日 |

シルバーウィーク明けから普通に登校してます。
一学期入院していた担任の先生も万全な体調ではないけれど復帰しているので、
わたしの負担はすごく減りました。
だから仕事は以前に比べたらもう、そりゃ楽です。
一学期がやばすきた。。。
あかんもう辞めよう、二学期もこうなら辞めてやる思ったからな。
今のとこ精神的ショックというかなんか沈みがちで、
ある意味登校する事で助けられてるかもしんない。
(先生何日も休んでインフルだったん?><;;などと心配されていたがね・・・)
まだ手続きで終わってないものとかあるけど、
四十九日の法要もまだだし、その頃には香典返しもしないとで大変。


いないんだなあ、と思うとやっぱり涙でる。
すごく好きだったんだ。

葬儀のあと。
実は、わたしは舅と養子縁組をしていたと事を知った。
おかんがお願いしますと頭をさげたという。
なんだよ、お父さん、ほんとに私のお父さんだったんじゃないか。
内緒にしてんじゃないよ。
ハッとして、なんだか息が吸えなくなるほど涙が出た。
出会った時からこれまでの笑顔や優しさを思い出す。
出会えてよかった。


いつかまた会えるかもしれない。
そう思うのはなぜだろう。
そのときは、きっと間違うことなくわたしはあなたを抱きしめるよ!
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2009年 09月 19日 |


重い内容です。


つい先週、舅が亡くなった。
何年も前から治らぬ病と戦い、それでも元気で明るく生きていたのに、
7月から肺炎になり入院していた。


仕事の合間を縫い介護に行った。
入院前は二週間ほどせん妄症状が出て、わたしは泊り込んだ。
夫の実家から仕事に行き、夜は不安がる義母と共に寝て、舅を介護した。
段々と歩けなくなってゆき、舅はトイレにもいけなくなった。
ご飯も一人で食べられない。
この人の世話をするためにわたしは介護の仕事をしてきたんだ、と思った。
安定剤を処方してもらい、やっと夜眠るようになったのも束の間で。
手がかかる、という言い方はあれだが、
手が必要だったのはほんとうにそのせん妄の間だけで、
その後急に肺炎になり入院し、意識障害のため付き添いも必要なかった。


覚悟はもうずいぶん前から出来ていた。
でも。
寝込むまでは本当に普通で、どこが病気なのか、
誰が病気なの、と言って笑うようで。
何度も入退院を繰り返し、それでも舅は普通で、明るくて、希望を持っていた。
その笑顔にどれだけ助けられたかしれない。


末期の肺癌で、他にも転移していた。
脳にもいくつもいくつも数えられないほど腫瘍が広がり、なんの手立てもなくなって。
それでも、出来る治療は全部やった。
遠くまで行って高度な治療も受けた。
悔いの残らぬように介護した。
だからもう、がんばるは必要ないよ。あなたはしっかり生きた。
ただひとつ、孫の顔を見せられず、ごめんね。。


もう、いつ呼吸が止まってもおかしくないです、と言われ、
本当に、本当に覚悟した。
笑顔に会えなくなるのがつらい。
でも。もうどうすることもできない。
どうかこの人が苦しむことのないように。
血縁の家族はみんな来て、ゆくすえを見守った。
今生の別れなんだと思うと涙があふれた。


死後の処置をしてもらった舅の顔は笑っていた。
いつも見せてくれていた笑顔で。
癌なのに、脳がやられていたせいか、苦しむ事も痛がる事もなく、飛んでいってしまった。


お葬式はたくさんの人が来てくれ、どれだけ愛されていた人なのだろうと思った。
もう涙は出ないほど泣いたのに、最後、焼き場の棺の前で、花に埋もれた舅の顔に触れ、
倒れそうなほど泣いた。
夫が支えてくれたが、簡単には収まらず、当分泣いていたように思う。


その後は毎日役場や銀行やら、相続やら名義変更。
忌引きは全部用事で、まったく休むことが出来ず、疲れた。
それでも。
見上げる遺影は笑っていて、少しも病を感じさせない。
毎日毎朝、手を合わせる度、わたしもあなたのように笑顔で生きて行こう、と思う。


あなたがいてくれたから夫に出会えた。
いつも笑わせてくれて楽しかった。
大好きです。
ずっとずっと忘れません。
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