たるたるにっき

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さよならだけが人生だ
2009年 09月 19日 |


重い内容です。


つい先週、舅が亡くなった。
何年も前から治らぬ病と戦い、それでも元気で明るく生きていたのに、
7月から肺炎になり入院していた。


仕事の合間を縫い介護に行った。
入院前は二週間ほどせん妄症状が出て、わたしは泊り込んだ。
夫の実家から仕事に行き、夜は不安がる義母と共に寝て、舅を介護した。
段々と歩けなくなってゆき、舅はトイレにもいけなくなった。
ご飯も一人で食べられない。
この人の世話をするためにわたしは介護の仕事をしてきたんだ、と思った。
安定剤を処方してもらい、やっと夜眠るようになったのも束の間で。
手がかかる、という言い方はあれだが、
手が必要だったのはほんとうにそのせん妄の間だけで、
その後急に肺炎になり入院し、意識障害のため付き添いも必要なかった。


覚悟はもうずいぶん前から出来ていた。
でも。
寝込むまでは本当に普通で、どこが病気なのか、
誰が病気なの、と言って笑うようで。
何度も入退院を繰り返し、それでも舅は普通で、明るくて、希望を持っていた。
その笑顔にどれだけ助けられたかしれない。


末期の肺癌で、他にも転移していた。
脳にもいくつもいくつも数えられないほど腫瘍が広がり、なんの手立てもなくなって。
それでも、出来る治療は全部やった。
遠くまで行って高度な治療も受けた。
悔いの残らぬように介護した。
だからもう、がんばるは必要ないよ。あなたはしっかり生きた。
ただひとつ、孫の顔を見せられず、ごめんね。。


もう、いつ呼吸が止まってもおかしくないです、と言われ、
本当に、本当に覚悟した。
笑顔に会えなくなるのがつらい。
でも。もうどうすることもできない。
どうかこの人が苦しむことのないように。
血縁の家族はみんな来て、ゆくすえを見守った。
今生の別れなんだと思うと涙があふれた。


死後の処置をしてもらった舅の顔は笑っていた。
いつも見せてくれていた笑顔で。
癌なのに、脳がやられていたせいか、苦しむ事も痛がる事もなく、飛んでいってしまった。


お葬式はたくさんの人が来てくれ、どれだけ愛されていた人なのだろうと思った。
もう涙は出ないほど泣いたのに、最後、焼き場の棺の前で、花に埋もれた舅の顔に触れ、
倒れそうなほど泣いた。
夫が支えてくれたが、簡単には収まらず、当分泣いていたように思う。


その後は毎日役場や銀行やら、相続やら名義変更。
忌引きは全部用事で、まったく休むことが出来ず、疲れた。
それでも。
見上げる遺影は笑っていて、少しも病を感じさせない。
毎日毎朝、手を合わせる度、わたしもあなたのように笑顔で生きて行こう、と思う。


あなたがいてくれたから夫に出会えた。
いつも笑わせてくれて楽しかった。
大好きです。
ずっとずっと忘れません。
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